GALLERY&CAFE SOQSO

EXHIBITION

COSAONE/NBS

2023.8.26(sat)-9.3(sun)

COSAONE/NBS   『AHORA ES MI TURNO!』

会期:2023年8月26日(土)〜 9月3日(日)
時間:11:00〜18:00
定休日:火、水曜日
*25日(金)はギャラリーの壁1面のLive paintingを生配信する予定です。

Profile
1988年より簡単なタギングからグラフィティを始める。別名義。その後、93年ごろからOB ONEに師事、COSA ONEを名乗る。96年にELMとNBSを結成。国内では少ない3D手法のレター作品を得意としながらも、基本に忠実なワイルドスタイルにも定評がある。そのほかスケートボード、アンダーグラウンドミュージック(ex-Corrupted)などストリートのカウンターカルチャーの創世記から深く関わってきたグラフィティライター。

Biography
2003年8月 大阪アメリカ村の黒田征太郎氏による壁画、”PEACE ON EARTH”のコラボレーションとしてDICE、ZENON、VERYと共に壁画を制作。グラフィティ以外の落書きに悩まされていた壁を15年間無傷というアメリカ村始まって以来の快挙を成し遂げる。
2005年10月 水戸芸術館 X-COLOR参加
2006年2月  複眼ギャラリー 初の個展
2007年    内田裕也氏、芥川賞作家モブノリオ氏の共著、「JOHNNY TOO BAD」にてモブノリオ氏書き下ろし作品である「ゲットーミュージック」の表紙カタカナレタータイトルを手掛ける。
2010年    ギャラリーCASO 「CRAZY CRIMERS」参加
2017年12月 CMK gallery 「SUPER NICE」参加
2018年5月  日本橋モモモグラにおいて著名な漫画家、アニメーター、イラストレーターが名を連ねる企画展「ぽんばしっ!」にグラフィティライターとしては唯一の参加。
2023年4月 gallery&cafe SOQSO 「1st Anniversary Exhibition」参加

 

 

INTERVIEW

大阪のレジェンドグラフィティライターCOSAONEソロアートショー『AHORA ES MI TURNO!』開催インタビュー。

十代半ばからスケートボードにのめり込み、スケート専門誌「THRASHER MAGAZINE」でスケーターの背景に描かれていたグラフィティを見て、自身のタグを書き始める。90年代から本格的にグラフィティライターの活動をスタートし、アルファベットや平仮名&カタカナをモチーフにしたオールドスクールベースの「ワイルドスタイル」、国内では珍しい陰影やハイライトで構造物を立体的に描く「3Dレター」などの手法を習熟し「大阪のレジェンドクルー」と評される。近年はアニメーションのキャラクターを取り入れるなどシーン黎明期から活動し、今なおリアルな表現を探求するCOSAONE(コサワン)氏。2023年8月26日からSOQSOで開催される個展「AHORA ES MI TURNO!」に合わせインタビューを行いました。
Interview & Text / Tetsutoku Morita


スケーターからグラフィティへ。

──ご出身は?

 広島です。中学で大阪に引っ越して16歳の時、難波のスケーター連中と知り合って一緒に滑るようになりました。そこで師匠のOBONE(オービーワン)とも出会ったんです。OBONEはちょっと年上でグラフィティをやってて、昼間はスケートボード関係の仕事をしてました。卸先のショップの内装を描いていて、ついて行ってアシスタント的なことをやってましたね。

──日本のグラフィティ黎明期。

 1990年くらいで街は綺麗な所ばかり。今みたいにどこを見渡してもグラフィティがある感じではなかったです。技術的な部分では、当時はグラフィティ専用のスプレーがなく、日本製スプレーを使っていて、塗装用だからアウトラインを描くのが難しかったんですよ。アメリカのスプレーは「ファットキャップ」といって綺麗な線が出せるんですが、日本製のスプレー缶にはハマらない。それを解決したのが東京のライターで。日本製のスプレー噴射口を引き抜いたらファットキャップが入ることに気づいて、その手法が広がりました。東京の連中がニューヨークでキャップを仕入れたので500個位買って、その内、アメリカに行って自分らで手に入れるようになりました。

──道具の進化があってグラフィティのレベルも向上した。

 そうですね。ただ個人的には、当時はまだ海外のタグを真似してるだけで、デザインだったり自分のスタイルっていうのはなかったです。1991年


グラフィティはヒップホップに非ず。

──COSAONEさんは、基本に忠実な「ワイルドスタイル」や、陰影やハイライトを駆使して文字を立体的に表現する「3Dレター」を得意とされますが、この手法はいつから?

 文字のグラフィティを「レター」と呼びますが、当時グラフィティは、文字が崩れて入り組んでそれを矢印なんかで装飾した「ワイルドスタイル」が主流だったんです。それを見てグラフィティはレターを描くものだとインプットされました。海外のファンジンもよく見ていて、どれもワイルドスタイルだったんですが、ニューヨークのerni(アーニ)ってライターがアウトラインのない立体的なレターを描いてるのを目にして、なんやこれって。縁を描かず面の色を変え立体に見せるという手法が新鮮で、そこから3Dに頭がいきました。96年くらいのことで、当時日本でもerniの影響を受けて、3Dでレターを描いてたライターは数人いました。

──90年代中頃といえば、COSAONEさんは関西アンダーグラウンドミュージック史を語る上で絶対に外せないCorrupted(コラプテッド)のボーカルとしても精力的に活動されていました。当時、グラフィティはヒップホップのイメージがあって、メタル/ハードコア系のバンドメンバーであることを不思議に感じていたのですが…。

 それは、グラフィティが日本へ入ってきた時「ヒップホップアート」と一括りに呼ばれてしまったせいですね。本来グラフィティとヒップホップは別の物なんです。実際、僕が海外で出会ったライターは全員メタル好きだったし、Bボーイのライターは外国で見たことないですよ。

──へえ。そうなんですね!

 ニューヨークでグラフィティが生まれた時、同じタイミングでラップやDJ、ブレイクダンスも出てきた。ストリートで一緒に連んでるところを「ワイルドスタイル」とか「スタイルウォーズ」って映画がヒップホップアートとして切り取って、それが日本に入ってきたからそう思われてしまっただけで、実際グラフィティは、ハードコアやメタル、スケーターカルチャーと結びつきが強かったと思います。

──当時のグラフィティを見るとBボーイっぽいキャラクターも描かれていますが。

 それは、ブレイクダンスをやってた連中です。ベースボールキャップにグラサン掛けてっていう、当時ストリートにいた奴らのファッションをそのまま絵にしただけ。

──近くにいた友達をモデルにした。

 そうですね。あとアメリカはアメコミ文化が強くて、アメコミとグラフィティが合体してるものもいっぱいありました。それを見て僕も日本でやっててずっとアニメ観てるしこれはアニメのキャラクターを描かなしゃーないと。


アニメとグラフィティの融合。

──なるほど。COSAONEさんはモチーフにアニメの美少女を使われますが、それはアメリカのグラフィティにおけるアメコミキャラを日本にローカライズしたという意味もあるんですね。このスタイルを始められたきっかけは?

 2018年に、アニメーターや漫画家の方が参加する合同展に出してもらって、その時フライヤーに参加者がそれぞれ女の子を描くという企画があったんです。以前からアニメは好きだったんですが、実は絵は苦手でドラえもんさえ描けなかった。なので、そんなん無理ですよって話をしたんですが、ご一緒した漫画家の赤津さんとかから、いけるでしょうと言われて。やってみたんですが、やっぱりうまく描けなくて、それから練習を始めました。

──ノウハウが異なるんですね。逆に漫画家さんがグラフィティを描くのは難しかったったりするんでしょうか。

 それはありますね。また違います。

──COSAONEさんの解説動画で「Aは使いやすいがKは難しい」と言わていて、グラフィティライターは文字に普通の人とは異なる感覚を持っているのだなと思いました。

 それはやってる内にわかってきます。グラフィティライターは自分の名前をかっこよく書かなければなりませんが、名前を決めていざ書いていると、かっこよくするのが難しい文字があることに気づいてくるんです。それで改名することもあります。

──アルファベットだけでなく、平仮名やカタカナも使われますがどのような違いがありますか。

 ABCDEって書いていくとわかりますが、アルファベットは全てパーツが繋がっていますよね。でも日本語は「な」とか「は」とかパーツが離れている文字があります。あと、カタカナだと「フ」「ク」「タ」の見分けが難しかったり。これにアルファベットと同じ感覚で装飾を付けると読めなくなってしまうので、書き方がかなり限定されます。それをグラフィティとして違和感がないように書けたらと面白いなと思ってやってます。

──日本語を書き始めたのはいつ頃からなのですか?

 ちょっと覚えてないですが、大体みんな一回は書いてみると思います。それをそのまま続ける人がいないと言うだけで。やっぱ限界があるんですよ。それをどう超えるか。僕は「存在しないものを、あったかのように見せること」を考えています。


 

アートにおけるゴール。

──「ないものをあったかのように見せる」

 そうですね。グラフィティのルールに沿って、今までなかった日本語のグラフィティをあたかも昔から存在したかのように見せること。これはアート全般におけるゴールの一つだと思います。今まであった色んなジャンルのテンプレートを消化して、元々あった物かのようにして出す。コラプテッドでやっていたこともそうでしたね。

──影響受けたものをコラージュしていく。

 バンドの場合はメンバーそれぞれ別々のものに影響を受けてましたが、僕は頑なにピンク・フロイドしかやってなかたったです。他の事は何もしてません。コラプテッドは、もともと遅くてヘビーで美しい旋律、テクニック系の様式美メタルではなくて、もっと人の死を想像するような。生きてる人が死を忘れている事で世の中がつまらなくなっている、それでそういう音楽をやらなあかんと思っていました。

──メメントモリ、音楽のヴァニタス画ですね。

 そういうものがあたかも過去から存在していたかのように作り上げていくというゲームなんです。都会の病気ですね。田舎に住んでたらやらないと思います。

──グラフィティと共通しているように感じます。

 一緒です。スケートボードもバンドもグラフィティも自分の中では何が違うのかよくわからない。やってる事は多分同じなんです。
1993年、安中市スケートパーク

 

「AHORA ES MI TURNO!」について。

──今回の個展のタイトル「AHORA ES MI TURNO!」はスペイン語で「次は俺の番だ」という意味と聞きました。実際に使われている言葉なんですか?

 それはね、タイトル決めてって言われてどうしようかなと考えていたら、その週のプリキュアでそういうシーンがあって、そのままスペイン語にしました。

──そうなんですね。てっきり昔から伝わる名言かと。笑

 今回のプリキュアは、主人公が2人いて、1人はヒーローに憧れている女の子なんですが、色々あって落ち込んでしまうんです。その時、今まで助けてもらってばかりだったもう1人のプリキュアが「今度私の番だ」と戦う話で。

──燃える展開です。ちなみにアニメはどんなペースで視聴されてますか。

 ワンシーズンで30本位あって、最後まで見るのは10~15本くらいです。

──キャラクターとレターがフュージョンした作品は、どのように製作されているんでょう?

 まずキャラクターをデザインしてから、背景のレターを入れていきます。キャラと背景をいかに融合させていくかがテーマです。同じ手法、たとえばレターだけをずっと描いてたら馴染んでくるんですが、そこで上手くなって終わりというのでは面白くない。同じものを書き続けると飽きてしまうので色々やってるというのもありますね。

── 最後に「AHORA ES MI TURNO!」の見所を教えてください。

 近年、アナログ作品はあまり描いてなかったのですが、今回は手書きがメインになります。ソロ展は17年ぶり。長らくやってなかったので見に来て下さい。

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