GALLERY&CAFE SOQSO

EXHIBITION

KAZUHIRO IMAI Solo Exhibition「Black in Blank」

2022.8.20 - 28

KAZUHIRO IMAI|Solo Exhibition「Black in Blank」

短い筆触による点の集合でガイコツを描くKazuhiro Imaiのソロアートショー。
今回の展示では2016年から現在までの約30点の作品を展示します。
タイトルの『Black in Blank』は『虚空に黒』を意味し、何もない空間に黒い点を置く事で無から有に転じる感覚、
『色即是空 空即是色』、Kazuhiro Imaiの心象風景を表します。
80年代にイラストレーターとしてのキャリアをスタートし、パンク/ハードコアのライブフライヤーを手掛けてきた
彼の作品はオルタナティブなアートカルチャーを知る絶好の機会になると思います。

会期:2022年8月20日(土)〜28日(日) 
定休日:火、水曜日
時間:11:00〜18:00

Profile
KAZUHIRO IMAI
1982年、パンクロックに影響を受けたアート作品の制作を開始する。
1986年、世界に影響を与えたグラインドハードコアバンドSxOxBの1st single “leave me alone”のジャケットアートを担当し、
広く知られる。
1987年、SxOxBの1st Album”Don’t be Swindle”でもアートを担当、バンドのヨーロッパツアーや日本人としては初の
BBC(英国国営放送)出演等で、バンドと共に海外でも認知が進む事になる。以後も場面でバンドにアートを提供している。

1984年からバンドも始め、いくつかのバンドを経てBlow One’s Coolを結成。その後もFirst Alert、Radio Shanghai,
そして現在はBid’ah、Liquid Screen、SxOxB(サポート)の3つのバンドで活動している。
2015年にはこれまでの活動をまとめたアート作品集をTorematoda(京都のパンクアート団体)、HCKレーベルの協力を得て発売。
国内外問わず、音楽、演劇、スケートボード、タトゥー、フィッシング、アパレルシーンなどでもアート作品を提供し幅広く活動している。

近年の主な展示
2018年   Last summer Crusing 2018 Beat Crazy and Trematoda Exhibition Kazuhiro x Junklaw (Green and Garden 京都)
        Kazuhiro Imai  solo art show “This is Life”  (The blank gallery 東京)
2017年   S.H.I presents Black Lodge Feast of Blood#4 ライブペインティング (Misono Universe 大阪)
      Killer Free 2017 ライブペインティング (Metro 京都)
2016年   Trematoda Art Exhibition (SOU/violet and Claire 京都)
      Exception to Ten Rules vol.2 Art Exhibition (Ants Yanagase 岐阜)
      Biwako Fes  Deps 20th Anniversary event ライブペインティング (Boat house Rush with Nories 滋賀)
      Bloodsucker presents Sugi and Kazuhiro 二人展 ”Melt-融” (Gallery Mosaic 広島)

INTERVIEW

白と黒で髑髏を描き続けるKAZUHIRO IMAIの個展『Black in Blank』インタビュー

1980年代に勃興したジャパニーズハードコアパンクの黎明期からイラストレーターとして活動を開始し「世界最速」と謳われた『S.O.B』の初期二作のジャケットを担当。現在は『BID’ah』『LIQUID SCREEN』のギタリストであり『SxOxB』にサポートメンバーとして参加しながら、国内外のハードコア/PUNKバンドのアートワークやイベントのフライヤーを手がけるKAZUHIRO IMAI氏。2022年8月20日からSOQSOで個展『Black in Blank』を開催されるということで、お話聞きました。   Interview & Text / Tetsutoku Morita

 

原点は、実家にあった大きな鬼の面。

──ご出身は京都市なんですか?

東山区やね。祖父の代から祇園で骨董屋をやってて、特撮ドラマ『怪奇大作戦』のロケ地になったり、ボストン美術館に浮世絵を送ったりしてたんやけど僕が継がへんくって。店は譲って今はゲストハウスになってるね。

──子供の頃から芸術に親しまれた。

骨董品には囲まれてたみたいやね。赤ちゃんの時に三百万くらいの皿を割って、おじいちゃんが泣いてたて。全く覚えてないけど。笑

──原体験みたいなものはあったんですか?

店に入ったすぐの場所に、めちゃくちゃでっかい鬼の面が置いてあって、それはずっと好きやったね。子供心にカッコいいなと思ってた。

──それは現在の作風に繋りますね。絵を描き始めたのは?

小学校の時、絵画教室に行って油絵とか描いてた。油絵のセットを買ってもらって。でも、小さすぎて使い方とか記憶にないな。そやし、ほとんど関係ないとは思うけど…強いて言うなら、日常的に絵を描く習慣は付いたかもしれんね。

 

永井豪、日野日出志、楳図かずお。

──イラストレーターとしてのルーツは?

漫画が好きになったんよ。小学校三~四年の時にテレビで『デビルマン』をやってて。学校でその話になったら、友達が「漫画の方は最後で死ぬ」と言い出して。「アニメと全然違う、ほんまに悪魔みたいな顔してる!」て聞いて原作を読んだらショックやったね。その友達は医者の息子で、地下に試写室があるようなお金持ち。映画とかも詳しくて、他にも色々教えてもらった。当時はホラー漫画が流行ってて、楳図かずおとか、日野日出志とか。

──『HIBARI HIT COMICS』とか『怪奇COMICS』とか当時はホラー専門のシリーズが色々出てましたね。

日野日出志は怖いし気持ち悪いというか。楳図かずおはめちゃくちゃ怖かったわ。『恐怖』で死んだおじいちゃんが、サンタになって出てくる話知ってる? 白い袋抱えて、プレゼントかなと思ったら子供の首、ボカンバキって折って持って帰る。サンタちゃうやん、めちゃ怖いやんて。笑

──子供の頃から怖いものに惹かれた。

ホラーもやしあとSF。『スターウォーズ』も好きやったし、一緒くたやったね。ヒーロー物も悪役の方が好きやったな。ハカイダーとか。

──ご自身で描くことは?

デビルマンは描いてたね。その頃は、永井豪とか楳図かずお、あと寺沢武一ね。『コブラ』が好きで、絵を真似してSF漫画を描き始めた。長編にしたかったんやけど、話が全く思い浮かばへんくて途中で挫折した。

──中学時代はどんな?

滋賀県にある仏教系の学校に行って、修行体験で、泊まりで山奥のお寺に何か送りこまれたりするんよ。それで、食えへんかったものが全部食えるようになった。梅干しとか漬物とか納豆とか。それしか出てこないから。

 

スター階段と鳥山明から衝撃を受ける。

──パンクロックとの出会いは?

中2の時に『セックスピストルズ』を聴いて。友達がバッチ付けとってん。その子のお姉ちゃんが『スターリン』のおっかけで、彼氏が洋楽のハードコアを聴いてた。僕らはヤンキーになりかけてて、その辺ちょろちょろちょろしてたら、お姉ちゃんが「あんたら暇なんやったらライブ行ってきたら」と言われて。観に行ったのが西部講堂の『スター階段』(※『スターリン』と『非常階段』の合体ユニット)。それが中2。衝撃的な体験で、それからライブ行くようになった。

──当時から絵も描かれてたんですか?

ピストルズとかの絵を描いてたね。そこからハードコアパンクっていうのがもっとやばいらしいと聞いて。ライブ行って、出演してたんが京都の『BONES』に、神戸の『MOBS』、大阪の『ZOUO』。それが84年やったかな。で、ハードコアが好きになって、鋲ジャンを描き出したりとか。当時はとりあえず買えないものを一回、紙に描いててん。鳥山明がそうしてたって言ってて。

──『ドラゴンボール』の?

そう。小5~6くらいの時に『Dr.スランプ』が始まって、それも衝撃的で絵が上手すぎてん。靴とかちゃんと紐までスニーカーの絵を描いてるやん。それまでは寺沢武一が好きで、寺沢武一も上手いんやけど、本当にあるもんじゃないやん。SFっていうのかな、銃とかでも細かさの違いがあって。鳥山明は実際ある銃を描いてて全部安全装置が付いてたりだとか、そういう現実的なリアルさ、ポップだけど写実的な感じに影響受けて。その鳥山明が「欲しくなったら一回絵に描いてみる」ってインタビューで話しててん。

──鳥山明の影響でハードコアパンクの鋲ジャンを描いていた。

そうやね。だから僕の絵って全体的に頭がでかいやろ。割り振りとか。デフォルメが漫画ぽいのよ。それは鳥山明ぽいなと思う。好きなものが全部融合していった感じやね。いいとこ取りをしてこうと思ってたから。

 

歴史的名盤『S.O.B』のジャケット誕生秘話。

──1986年に『S.O.B』の『LEAVE ME ALONE』、1987年に『DON’T BE SWINDLE』のジャケットを手掛けられますがそれはどういう経緯で?

中3で同級生と『G.B.H.』のコピーバンドをやって、それとは別に京都で、今一緒にやってるヤスエくん(S.O.B)とかと友達になってバンドを始めてん。その時は、楽器が出来なくて僕はボーカルやって、しばらくしてそのバンドは解散。そこから色々引き抜かれて、一つが『S.O.B.』になった。

──ジャパニーズハードコアシーンの黎明期ですが、イラストレーターとしてどのような活動されていたんですか?

仲間内で絵を描くのが僕しかいなくて全面的に頼まれてたっていうか。最初は、みんなバンドもガンガン活動してへんかったから服に描くのを頼まれてた。革ジャンとかジーパンに、バンドのロゴとか骸骨を手書きしたり。ライブのフライヤーも適当やったね。「髪の毛のとこベタがまだやから塗っといて」とか言って渡したり。描いてる絵とかも勝手にポンポン持っていって何に使われたかわからへんのもいっぱいあるね。

──『LEAVE ME ALONE』の歌詞カードに『日野日出志』をモチーフにしたイラストが使われています。

あれも元々は『S.O.B.』に使う予定じゃなかったんやけどね。便箋として作っててん。当時は何でも手紙やったから、外国からレコード買うのでもエアメールに烏丸の銀行で両替したドル札をぶち込んでてん。その時、手書きの便箋を入れとくとみんな喜ぶ「このキャラクターなんなんだ?」って訊いてきたら「日本には日野日出志ってすごいホラー漫画描く人がいるんや」って教えたり。

──ネット・ワーク・オブ・フレンズですね。

遊んでるだけやったけどね。友達と楽しく。

──『LEAVE ME ALONE』と『DON’T BE SWINDLE』のイラストはどのようにして描かれたんですか?

『LEAVE ME ALONE』は、実はこの前に一回描いてるんやけどボツになってん。バクテリアみたいな沼の真ん中に僕が考えた骸骨のキャラクターが立ってる絵やったんやけど「もっとバーンとガイコツがええんやないかな」とナオトくん(ex-S.O.B / Rise From The Dead)が言うて。「串に刺さってるほうがええんちゃうか」とかって。ジャケットはナオトくんに相談されたね。『DON’T BE SWINDLE』も中に入ってたシールが最初に描いたやつで「アメコミみたくした方がええんやないか」って描き直したのがジャケットになった。ナオトくんはビジョンがあるみたいで色々言ってきてたね。『S.O.B』のロゴを、トゲトゲぽくするのもナオトくんのアイデアやってん。

──バンドのイラストを手掛ける上で影響を受けたアーティストは?

とにかくこの頃はPUSHEADが好きやった。85年くらいからアメリカのハードコアを聞き出してその流れで。PUSHEADは当時パンクバンドのジャケットを描いてて、『Youth Brigade』がやってるレーベル『BYO』のコンピレーションだったり、イギリスのバンドも結構描いてんねん。有名なところだと『Exploited』他には『Destructors』とか。あとは影響を受けたのはMarc Rudeかな。『BATTALION OF SAINTS』のジャケットを見て、点描が多かったんよ。PUSHEADは線が独特で、Marc Rudeは点で描いてるて感じやったね。

──PUSHEADとは会われてるんですよね?

うん。2~3回。最初は86年やったかな。その時に、僕が小学校の時から大事にしてた永井豪の画集をあげたら喜んで「バンズを必ず送る」って言って、後日、僕のとこじゃなく先輩の家に届いて、送る人間違うてへんかなと思った記憶があるね。笑

 

どこにでもある製図ペンを使う理由。

──道具は何を使われているんですか?

製図ペンだけですね。その辺で普通に売ってる細いペン。今は0.1mm、0.2mm、0.3mm、0.5mm、0.8mmと5種類くらいを使ってます。小学校の頃はGペンの練習したり、デザイン会社で働いてる時はロッドリングで描いたりもしたね。ロットリングは点が丸く打てるからめっちゃきれいなんよ。街で売ってるペンは先がだんだん潰れていくねん。最初は丸やけど先が折れて四角くなってくる。でもまあ、あまり構わずに描いてるんやけど。

──どうして製図ペンに?

いつでも買えるっていうとこかな。どっかよその町行ってもすぐ売ってるし。どこでも描ける。

──2016年に出された画集のサブタイトルは『THIS IS NOT ART,THIS IS LIFE』でした。どこでも買える製図ペンを使われているのも生活の延長上に絵があるということなのかなと思います。

そういうのが好きなんよね。パンクもやろうと思えば楽器持った次の日からバンドできるし、スケボーもどこだって滑れるやん? 大袈裟なことより、日常でできることをやっていきたいっていうのはあるよね。その中で面白いことをやる。遊んでるだけやねんけどね。アーティストって言わんとアートとして買ってもらわれへんからそう言うてるだけで、自分ではアーティストやと思ってない。絵ばっかり描く人もいるやん、それが性分ていうか、描かずにはおれない衝動を持ってる人。僕はそういうんでもなしいな。色々ある内の一個に絵があって、音楽があって、スケボーがある。

 

『Black in Blank」とは?

──昔は好きなものを描かれていましたが、モチーフに変化はありましたか? 

今は、人に見せるというところでガイコツであったり、ホラー的なイメージで統一してるね。

──ズバリ、テーマは?

生から死」って感じかな。主に死やけど、メメントトモリみたいな。わからんもんやん? 今、生きてる人は誰も死んだことないんやから。臨死体験とか幽体離脱とかも信じられへんし。永久に不思議。最近はガイコツが中心で、そこに死を集約させて、どこまで面白い描き方ができるか模索してる。適当にひゃーって描いた時の方が表情が良かったり、精巧に描こうとすると固すぎたり、ある程度偶然の要素がいるんちゃうなと。無意識に描くっていうところが大事かなとも感じてるね。

──今回の個展「Black in Blank」の意味は?

「虚空に黒」ってことです。何もない空間に黒を置くってイメージ。元々は『色即是空』にしたかったんやけど、仏教学んでない人は知らん人もおるかなと。

──フレーズは聞いたことある人が多いと思います。

般若心経の一節で「色即是空」と言うてるんやけど、僕のやってることって何もないところに黒を置いていくから『色即是黒』かなと。それ英語にしたらどうなるんかなって外国人の友達に色々聞いたら、みんな言うことが全然違う。それで面白い言葉やなと思って、僕的には「Black in Blank」が一番しっくりきてタイトルにしました。

──展示される作品は?

作品数はどれぐらいだろうなぁ。2016年以降のものを中心に、30点くらいは置こうと思ってます。

──今回、原画の販売はありませんが、『Black in Blank』というタイトルで作品集を出されます。

2016から現在までのドローイングを収録したZINE(ジン)ぽい雰囲気で、京都のMaronastyくんがやってる『とぅえるぶ』ってZINEショップの出版部門『TWELVE publishing』から出ます。

──期間中は『とぅえるぶ』のポップアップショップも同時開催され、Maronastyさんがセレクトされた希少なZINE(ジン)も販売されます。足を運ばれる方にメッセージを頂けますか?

こう言うカルチャーがあるってことを知ってもらえたらって感じかな。何十億円っていう絵画でしか感動出来ない人もいれば、道に落ちてる石を見ても感動したりする人もいるやろうから、受け取る側次第やろうけど…。こんなことをやって50年数年、生きてる人もおるんだよというサンプル的な感じで楽しんで貰えたらいいんじゃないでしょうか。
スケボーとかバンドとか絵を描くことって、誰もができることやと思うし、自由に自分のやり方でやったらいいと思う。無理くり今回のテーマを使用するなら、元々この世は何もない虚空やから、自分の関わり方で人生を面白くもくだらなくもしていけると思う。楽しいことも、幸せなことも無理矢理、捏造していかないとってことですかね。

 

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